Still More -スティルモア- の
わがままボーカリスト『yaz』のお気楽なブログです
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私が小さい頃から、
母は私と弟を連れてよく大阪の伯母の家へ行っていた。
その滞在期間は、二、三日とかではなく
一週間を超える様に記憶している。
母が末っ子と言う事もあり、
私はこの伯母にも本当に可愛がってもらった。
夕方になると、伯母と一緒に近くの市場に出かける
そして、肉屋さんの揚げたてコロッケを買ってもらって
二人で食べながら帰ったのを今でもよく覚えている。
小さな私の手を引いて通った市場までの道は今も忘れない。
時は過ぎ去り、身長180cmの私が小さくなった伯母の手を引いている。
立場が大きく変ってしまった。
伯母が言う、
『どうして、妹の方が先に逝くんやろうなぁ・・・』
『順番通り、私が先逝ってたらどんなによかったろうに・・・』
『神様になんぼ、そんなに言うたか、わかりゃあせんよ・・・』
私は
『僕らには解らん、人にとってそれぞれ必要な事があるんよ・・・』
と答えるしかなかったが、ふと気が付いた。
もし、伯母が先に逝っていたら、
おそらくは、大阪でなくなっている筈である。
妹が亡くなって、一周忌を故郷でしなければ
帰ってくることもなかったのである。
死ぬまでにもう一度故郷を・・・と誰もが思うであろうが、
遠く故郷を後にして
80歳を過ぎてしみじみと幼き頃から振り返る時間を得られる人が
どれだけいるのだろうか・・・
伯母にとっては珠玉の時間であったのであろう。
私の心は感謝の涙で溢れたのは言うまでもない。

左-母 右-伯母
六人いた兄弟姉妹も、もう二人だけである。
出来る事ならこのままずっと・・・と思うがそれは叶わない。
少しでも・・・と願うばかりである。
『やっくん、故郷はええなぁ・・・』
伯母の声が心に残る・・・。
母は私と弟を連れてよく大阪の伯母の家へ行っていた。
その滞在期間は、二、三日とかではなく
一週間を超える様に記憶している。
母が末っ子と言う事もあり、
私はこの伯母にも本当に可愛がってもらった。
夕方になると、伯母と一緒に近くの市場に出かける
そして、肉屋さんの揚げたてコロッケを買ってもらって
二人で食べながら帰ったのを今でもよく覚えている。
小さな私の手を引いて通った市場までの道は今も忘れない。
時は過ぎ去り、身長180cmの私が小さくなった伯母の手を引いている。
立場が大きく変ってしまった。
伯母が言う、
『どうして、妹の方が先に逝くんやろうなぁ・・・』
『順番通り、私が先逝ってたらどんなによかったろうに・・・』
『神様になんぼ、そんなに言うたか、わかりゃあせんよ・・・』
私は
『僕らには解らん、人にとってそれぞれ必要な事があるんよ・・・』
と答えるしかなかったが、ふと気が付いた。
もし、伯母が先に逝っていたら、
おそらくは、大阪でなくなっている筈である。
妹が亡くなって、一周忌を故郷でしなければ
帰ってくることもなかったのである。
死ぬまでにもう一度故郷を・・・と誰もが思うであろうが、
遠く故郷を後にして
80歳を過ぎてしみじみと幼き頃から振り返る時間を得られる人が
どれだけいるのだろうか・・・
伯母にとっては珠玉の時間であったのであろう。
私の心は感謝の涙で溢れたのは言うまでもない。
左-母 右-伯母
六人いた兄弟姉妹も、もう二人だけである。
出来る事ならこのままずっと・・・と思うがそれは叶わない。
少しでも・・・と願うばかりである。
『やっくん、故郷はええなぁ・・・』
伯母の声が心に残る・・・。
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