Still More -スティルモア- の
わがままボーカリスト『yaz』のお気楽なブログです
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昨日は
『全国ナイスミドル音楽祭中国四国ブロック大会』に行ってきました。

Still MoreでAGをやっている『カビラ』が
以前から所属している『SAY』が広島県代表で出演したので
Still Moreメンバーそろって応援してきました。

残念ながら、『SAY』は本選には進めませんでしたが
中四国から集まった個性豊かな9バンドの演奏と、
ゲストの『上田正樹』さんのLIVEを楽しんできました。
ただ、少し残念に思ったのは、全編通しての会場の音作りですが
もう少しどうにかならないものかと思いました。
音は『でかけりゃいい』ってもんじゃないんじゃないでしょうか。
それに不必要に一部の音域だけがでかく聞こえる、
殆どの演奏曲がオリジナルならば、歌詞も含めて重要な要素だと思いますが
ボーカルの声は聞きづらいし・・・。
私だけがそう思ったのかもしれませんけど・・・ホント残念でした。
『全国ナイスミドル音楽祭中国四国ブロック大会』に行ってきました。
Still MoreでAGをやっている『カビラ』が
以前から所属している『SAY』が広島県代表で出演したので
Still Moreメンバーそろって応援してきました。
残念ながら、『SAY』は本選には進めませんでしたが
中四国から集まった個性豊かな9バンドの演奏と、
ゲストの『上田正樹』さんのLIVEを楽しんできました。
ただ、少し残念に思ったのは、全編通しての会場の音作りですが
もう少しどうにかならないものかと思いました。
音は『でかけりゃいい』ってもんじゃないんじゃないでしょうか。
それに不必要に一部の音域だけがでかく聞こえる、
殆どの演奏曲がオリジナルならば、歌詞も含めて重要な要素だと思いますが
ボーカルの声は聞きづらいし・・・。
私だけがそう思ったのかもしれませんけど・・・ホント残念でした。

私が小さい頃から、
母は私と弟を連れてよく大阪の伯母の家へ行っていた。
その滞在期間は、二、三日とかではなく
一週間を超える様に記憶している。
母が末っ子と言う事もあり、
私はこの伯母にも本当に可愛がってもらった。
夕方になると、伯母と一緒に近くの市場に出かける
そして、肉屋さんの揚げたてコロッケを買ってもらって
二人で食べながら帰ったのを今でもよく覚えている。
小さな私の手を引いて通った市場までの道は今も忘れない。
時は過ぎ去り、身長180cmの私が小さくなった伯母の手を引いている。
立場が大きく変ってしまった。
伯母が言う、
『どうして、妹の方が先に逝くんやろうなぁ・・・』
『順番通り、私が先逝ってたらどんなによかったろうに・・・』
『神様になんぼ、そんなに言うたか、わかりゃあせんよ・・・』
私は
『僕らには解らん、人にとってそれぞれ必要な事があるんよ・・・』
と答えるしかなかったが、ふと気が付いた。
もし、伯母が先に逝っていたら、
おそらくは、大阪でなくなっている筈である。
妹が亡くなって、一周忌を故郷でしなければ
帰ってくることもなかったのである。
死ぬまでにもう一度故郷を・・・と誰もが思うであろうが、
遠く故郷を後にして
80歳を過ぎてしみじみと幼き頃から振り返る時間を得られる人が
どれだけいるのだろうか・・・
伯母にとっては珠玉の時間であったのであろう。
私の心は感謝の涙で溢れたのは言うまでもない。

左-母 右-伯母
六人いた兄弟姉妹も、もう二人だけである。
出来る事ならこのままずっと・・・と思うがそれは叶わない。
少しでも・・・と願うばかりである。
『やっくん、故郷はええなぁ・・・』
伯母の声が心に残る・・・。
母は私と弟を連れてよく大阪の伯母の家へ行っていた。
その滞在期間は、二、三日とかではなく
一週間を超える様に記憶している。
母が末っ子と言う事もあり、
私はこの伯母にも本当に可愛がってもらった。
夕方になると、伯母と一緒に近くの市場に出かける
そして、肉屋さんの揚げたてコロッケを買ってもらって
二人で食べながら帰ったのを今でもよく覚えている。
小さな私の手を引いて通った市場までの道は今も忘れない。
時は過ぎ去り、身長180cmの私が小さくなった伯母の手を引いている。
立場が大きく変ってしまった。
伯母が言う、
『どうして、妹の方が先に逝くんやろうなぁ・・・』
『順番通り、私が先逝ってたらどんなによかったろうに・・・』
『神様になんぼ、そんなに言うたか、わかりゃあせんよ・・・』
私は
『僕らには解らん、人にとってそれぞれ必要な事があるんよ・・・』
と答えるしかなかったが、ふと気が付いた。
もし、伯母が先に逝っていたら、
おそらくは、大阪でなくなっている筈である。
妹が亡くなって、一周忌を故郷でしなければ
帰ってくることもなかったのである。
死ぬまでにもう一度故郷を・・・と誰もが思うであろうが、
遠く故郷を後にして
80歳を過ぎてしみじみと幼き頃から振り返る時間を得られる人が
どれだけいるのだろうか・・・
伯母にとっては珠玉の時間であったのであろう。
私の心は感謝の涙で溢れたのは言うまでもない。
左-母 右-伯母
六人いた兄弟姉妹も、もう二人だけである。
出来る事ならこのままずっと・・・と思うがそれは叶わない。
少しでも・・・と願うばかりである。
『やっくん、故郷はええなぁ・・・』
伯母の声が心に残る・・・。
昨日は彼岸入り
母方の伯母の一周忌で父・母・伯母と
周防大島・沖家室へ行ってきました。
11時からだったのですが10時前には東和町に着いてしまいました。
大阪から上の伯母も久し振りに帰って来ていたので
『おばちゃん、折角久し振りに帰ってきたんじゃけえ、星野哲郎記念館にいこうかぁ』
と言うと、(実は帰りに連れて行ってあげようと思っていた)
『ほんと、うれしいなぁ。』と一言

記念館に着くと
『おばちゃんなぁ、星野哲郎と同級生なんやで、安下庄でなぁ~・・・』
と驚きの話がちらほら。
そして、記念館で伯母は
しみじみと
『うれしいなぁ、故郷はええなぁ・・・』
『やっくん、ありがとうなぁ。』と言う伯母の言葉に
遠い記憶が甦ってきた。
続く・・・
母方の伯母の一周忌で父・母・伯母と
周防大島・沖家室へ行ってきました。
11時からだったのですが10時前には東和町に着いてしまいました。
大阪から上の伯母も久し振りに帰って来ていたので
『おばちゃん、折角久し振りに帰ってきたんじゃけえ、星野哲郎記念館にいこうかぁ』
と言うと、(実は帰りに連れて行ってあげようと思っていた)
『ほんと、うれしいなぁ。』と一言
記念館に着くと
『おばちゃんなぁ、星野哲郎と同級生なんやで、安下庄でなぁ~・・・』
と驚きの話がちらほら。
そして、記念館で伯母は
しみじみと
『うれしいなぁ、故郷はええなぁ・・・』
『やっくん、ありがとうなぁ。』と言う伯母の言葉に
遠い記憶が甦ってきた。
続く・・・